創作し発表するということ

私はかねがね創作することおよび発表することは外交的な人間がすることと思っていた。「思っていた」とあるがどちらというと今も思っている節がある。

 

私は、創作する人間の中でも陽キャ陰キャというのが二つに分かれていると思っており、twitterやpixiv、youtube、その他創作物発表サイトに発表するのは陽キャのすることだと思っていた。私は陰キャ側を20年は続けていた。

ただ陰キャであろうと、創作し発表するべきなのだ。と私は思う。

後、作品を見る側に立ち続けられるのならば延々と批評し、その批評文ですら自分の心の中に保ち続けた。

 

まず創作というのは、自分の気持ちや妄想、想像を形にすると言う作業であり、それは見せる対象が前提とされていると私には思われる。ゆえに私のような自分が何よりも大事である人間は、自己評価より低く価値付けられるのならば他人と関わりたくないと思うので、発表の機会があればそそくさとその場から去る。

 

そして私は、創作物の燃料となる自分の気持ち、妄想、想像にこそ価値があるとしていて、この気持ちは、この感情は、この苦しみ、喜び、痛み、憂鬱は、ただただ私のものであり、これらの気持ちこそ私だと思っていた。

 

しかし今では考えが代わり、それらの思いを持つこと自体に価値があるわけではないと思っている。

創作物にする、つまり、その感情を整形して、人に見せ価値を認めてもらうことで自他共に自分を価値付けでき、自分の認知と世界の認知がかみあう。そして私も世界も幸せになる。

 

内向的な人間はただでさえ人を幸せにしづらいのであるから、その気持ちや想像を形にして、人に伝えないと価値がない。

自分ばかりを見つめてないで、人が心地よいと思う物をつくり、自分の存在を世界に大切にさせる動きが必要。

あなたはあなたが大切だが他の人にとって、何もしゃべらないあなたを大切にする理由はない。自分が大切だと世界にも思わせるために創作し発表しろ。